天然塩と精製塩の違い
私たちは長い間、「健康のためには塩分を控えることが大切だ」と教えられてきました。
血圧が高い人には減塩が勧められ、醤油や味噌もできるだけ薄味にすることが良いとされてきました。スーパーには減塩食品が並び、塩はなるべく少なくするもの、という考え方が広く定着しています。
しかし、ここで一度考えてみたいことがあります。
私たちが「塩」と呼んで減らしてきたものは、本当に昔ながらの塩だったのでしょうか。
塩そのものを悪者にする前に、まず見直すべきなのは、「どのような塩を口にしてきたのか」という点です。塩を減らすことだけに意識を向けるのではなく、塩を選ぶこと、つまり「選塩」という視点が必要なのではないでしょうか。
日本では、塩は単なる調味料ではなく、長い歴史の中で人々の暮らしと深く結びついてきました。もともと塩は、海水を引き込み、太陽と風の力で水分を飛ばしながら作られていました。自然の海からいただくものとして、生活や食文化を支えてきた存在でした。
ところが、近代に入ると、塩は国によって管理されるようになります。
1905年、日露戦争の時期に、塩は国の専売制度のもとに置かれました。専売とは、国が特定の商品を独占的に管理し、販売する仕組みです。戦争には大きなお金が必要であり、誰もが必要とする塩は、安定した財源になり得るものでした。
お酒を飲まない人はいても、塩をまったく口にしない人はいません。塩はすべての人に関わる生命線です。だからこそ、塩を握ることは、人々の暮らしの根本を握ることでもありました。
本来、この制度は戦争のための一時的なものとされていました。しかし、戦争が終わっても塩の管理は続きました。一度握られた塩の仕組みは、そのまま残されていったのです。
そして大きな転換点となったのが、1971年の制度変更です。
この時期、日本の昔ながらの塩田は廃止され、工場で塩を作る方法へと切り替えられていきました。伝統的な塩田で、海水を太陽と風によって濃縮していく方法から、イオン交換膜を使って塩化ナトリウムを効率よく取り出す方法へと変わっていったのです。
この変化には、二つの意味があります。
ひとつは、塩作りが海や土地に根ざしたものから、工場で管理されるものへと変わったことです。もうひとつは、塩の中身そのものが変わったことです。
海水には、ナトリウムだけでなく、マグネシウム、カルシウム、カリウムなど、さまざまなミネラルが含まれています。昔ながらの塩には、そうした海の成分が少しずつ残っていました。
ところが、工業的な製法では、主にしょっぱさの成分である塩化ナトリウムが取り出され、その他のミネラルは取り除かれていきます。そして、その取り除かれる成分は「不純物」と呼ばれるようになりました。
ここには、言葉の問題もあります。
本来、体にとって大切なミネラルであっても、「不純物」と呼ばれると、不要なもの、取り除くべきもののように感じられます。農薬を「消毒」と呼ぶと、悪いものを撒いているというより、清潔にしているように聞こえるのと似ています。
言葉は、私たちの受け止め方を大きく変えます。
こうして、塩は海から切り離され、ミネラルを含む自然の塩から、しょっぱさを中心とした工業製品へと変わっていきました。
同じ頃、日本人の食生活全体にも大きな変化が起きていました。戦後、学校給食にはパンや脱脂粉乳が入り、お米と味噌汁を中心とした食生活から、小麦や乳製品を含む食生活へと移っていきました。
塩は海から切り離され、主食は米からパンへと移り、日本人は少しずつ自分たちの土地や海から離れていったとも考えられます。
人間の体は、体内に水分とミネラルを抱えて生きています。血液や体液には、海水を思わせるようなミネラルの仕組みがあり、私たちは体の中に小さな海を持っているとも言えます。
そう考えると、塩は単なるしょっぱい調味料ではありません。命の水を支える、根本的な存在でもあります。
ただし、昔ながらの塩が失われたまま終わったわけではありません。
1971年に塩田が姿を消し、工場製の塩が広まったあと、それに違和感を覚えた人たちがいました。料理をする人、味噌や醤油を仕込む人、子どもの体調を気にかける親たち。そうした人々が、暮らしの中で「何かが違う」と感じたのです。
理屈よりも先に、味や体の感覚が変化を感じ取ったのかもしれません。
そして、昔ながらの海の塩を取り戻したいという声が集まりました。スマートフォンもSNSもない時代に、紙の署名で多くの人がつながり、最終的には5万人分の署名が集まったとされています。
これは、上から決められた制度に対して、下から暮らしの実感が声を上げた出来事でした。
その後、1973年には「伯方の塩」が生まれ、さらに1984年には、伊豆大島の海水を使った「海の精」が登場します。失われた塩を、生活者の手によって少しずつ取り戻していったのです。
ここで大切なのは、私たちは気づくことができる、という点です。そして、気づいた人が声を上げ、つながれば、失われたものを取り戻すこともできるということです。
塩の話は、砂糖の話ともつながっています。
かつてアメリカでは、砂糖業界から資金提供を受けた研究者たちが、心臓病の原因として砂糖ではなく脂肪やコレステロールに注目させるような論文を発表しました。その影響によって、長い間、世界中で脂肪が悪者とされ、砂糖の問題は見えにくくなっていきました。
ここで考えたいのは、専門家の言葉がいつも完全に中立とは限らない、ということです。
ある業界が専門家を通して情報を発信すると、その情報は広告ではなく、客観的な知識のように受け取られやすくなります。医師や栄養士が語れば、多くの人は安心して信じます。
日本でも、砂糖に対する印象を変え、需要を増やそうとする業界団体の活動があります。子ども向けの学習漫画などを通じて、砂糖のよい面を伝える取り組みもあります。
もちろん、業界が自分たちの商品を広めようとすること自体は珍しいことではありません。しかし、その情報が誰によって、何の目的で発信されているのかは、私たちも意識しておく必要があります。
ここで、塩と砂糖には興味深い対比があります。
自然の塩からミネラルを取り除いたものが精製塩です。
一方、サトウキビなどから成分を精製し、白く純度を高めたものが白砂糖です。
どちらも、自然のものから多くの成分を取り除き、一部の成分を取り出したものです。
にもかかわらず、塩は「減らすべきもの」とされ、砂糖は「エネルギー源」として好意的に語られることがあります。この扱いの違いには、改めて考える余地があります。
ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。
塩をたくさん取ればよい、という単純な話ではありません。高血圧の人、心臓や腎臓に病気のある人は、自己判断で塩分を増やすべきではありません。体の状態によって、必要な注意は変わります。持病がある場合は、必ず主治医と相談することが大切です。
そのうえで考えたいのは、塩をただ恐れるのではなく、質を選ぶということです。
真っ白でサラサラした精製塩は、しょっぱさの中心である塩化ナトリウムが主成分です。一方、昔ながらの製法で作られた自然塩には、にがりを含むミネラルが残っています。舐めてみると、ただしょっぱいだけではなく、甘みや苦み、奥行きのある味を感じることがあります。
これが、塩を減らす「減塩」だけではなく、塩を選ぶ「選塩」という考え方です。
量だけに目を向けるのではなく、質にも目を向ける。毎日たくさん使う塩と、料理の仕上げに使う塩を分けてもよいでしょう。高価な塩を何にでも使う必要はありません。無理なく続けられる形で、暮らしの中に本物に近い塩を取り入れていくことが大切です。
また、水と塩の関係にも目を向ける必要があります。
体に水分が足りないと、さまざまな不調が起こることがあります。しかし、水だけでなく、ミネラルも体には必要です。水分とミネラルのバランスが整ってこそ、体は本来の働きを保ちやすくなります。
ある人は、体調不良をきっかけに薬だけに頼るのではなく、水と自然塩、玄米、味噌汁、ぬか漬けなどを取り入れた生活へと変えていきました。その結果、自分の体の声を聞きながら、自分なりの健康の形を見つけていったとされています。
ここで重要なのは、誰かの方法をそのまま真似することではありません。
大切なのは、自分の体を誰かに預けっぱなしにしないことです。医療を否定するのではなく、自分の体の感覚も大切にしながら、必要な知識と専門家の助けを組み合わせていくことです。
塩は、日本の文化の中でも特別な意味を持ってきました。
神話の中では、海水で身を清める場面があります。葬儀のあとに塩を使う習慣、店先の盛り塩、相撲の土俵に塩をまく行為など、塩は古くから清めの象徴として扱われてきました。
日本人は、塩をただの味付けとは考えていませんでした。命を支えるもの、場を清めるもの、神聖なものとして扱ってきたのです。
その塩が、近代以降の制度や産業の都合によって、数十年のうちに「体に悪いもの」「減らすべきもの」として語られるようになりました。
ここには、食と健康について考えるうえで大切な問いがあります。
本当に塩そのものが悪いのでしょうか。
それとも、塩の質が変わったことに目を向けるべきなのでしょうか。
誰が「これは体に良い」「これは体に悪い」と決めてきたのでしょうか。
その情報によって利益を得る人は誰なのでしょうか。
そして、自分の体は何を感じているのでしょうか。
私たちはいつの間にか、自分の体の声よりも、外から与えられる情報を優先するようになってきたのかもしれません。
医師が言ったから。
国が決めたから。
テレビで専門家が話していたから。
もちろん、専門家の知識は大切です。けれど、それと同じくらい、自分の体が出している小さなサインにも耳を傾ける必要があります。
疲れやすい。冷える。だるい。頭がぼんやりする。食べ物を変えると体調が変わる。
そうした日々の感覚は、決して軽く扱うべきものではありません。
塩を選ぶということは、単に調味料を変えることではありません。自分の体に入れるものを、自分で確かめて選ぶということです。
それは、外の声に預けすぎていた自分の判断を、少しずつ手元に取り戻すことでもあります。
塩を恐れるのではなく、塩を知る。
減らすだけではなく、選ぶ。
体の声を無視するのではなく、丁寧に聞く。
その小さな一歩が、食と健康を見直す入り口になるのではないでしょうか。
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